日々書き込むブログ

気になること色々書いていきたいと思います。せっかくなので楽しみたいです。

怒る、叱る、注意の難しさ。

こんばんは。

Mint_Tです。

 

今日の話はタイトル通りの内容を書けたらと思います。

あくまで個人的な考えなのでご理解いただけたらと思います。

 自分は仕事柄、子供と接する仕事を行い自身にもまだ小さい子供もいる為、公私共に子供に接する事が多いです。

子供は可愛いですし、成長を見れてとても日々やり甲斐を感じています。

 

そこで話題となるのが子供が悪い事や言う事を聞かなかった時の対応についです。

個々に考え方が違い、説明しても理解を得て共感する事が凄い難しいと感じる事が多いです。

ガツンと怒り、本人に理解をしてもらおうとする人や長々と説経をしてしまう人、子供の行動を受け入れ時間をかけながら本人にして良い事や悪い事を知ってもらおうとする人もいます。

同じ行動を子供がしてもこれだけバラバラな対応をしていたら子供も混乱しますし、理解は出来ないと思います。

しかし、大人サイドは自分のやり方が正しいと思っているのでやり方を変えようとは中々しないもんです。夫婦であれ、職場であれ統一がされてなければ子供にとっても難しい環境だと思います。

そんな色々な人や自分の体験で気付いた点もありました。

その中でこれは悪手とまではいかないがあまり意味ないのでは?と思うものを3点ほど書きたいと思います。

①怒られて泣いてる子供に何言っても耳には入っていない事が多い。

これは何となくわかる方も多いと思いますが、感情が不安定な時には人の話は入ってこないもんです。

大人でも怒ってる時には他人の話は入らないと同じですね。

②怒鳴り散らしても子供の耳には入っていない。

怒られて怖い気持ちが先行し、大人の言葉なんて入ってないです。

また、この時は大人も感情的になっており子供が怖くて謝る姿に満足しますが同じ事を繰り返してしまいます。これは自己満足で終わってしまいますね。

ついでに、聞いた話では大人の怒鳴り声は子供の耳には雑音にしかならないらしいです。 

③長々と説経しても子供の集中力は続かない。

「本当にわかってるの!」と説経をする人がいますね。そしてひたすら長々と説経をする。

調べてみると子供の集中力の平均時間は約15分だそうです。これより更に短い子供もいると思います。

長々と説経する→集中力が切れて余所見等をする→余所見しない!と怒られる。この繰り替えしにより最早何で怒られてるのかわからなくなる事もあります。

 

ここまで、書いて見て自身の子供時代を振り返るとまぁ、確かにと思う事もあります。

なら悪い事をしても怒らないのかって話になりますが、そうではないと思います。

例えばその子の行動が命に関わることであれば心配もありますし、しっかり教えないといけない事なのでその場でガッと言ってしまう事もあると思います。

ただ、怒らなくても伝わるかなとは思います。

「心配したよ」の一言でも違いますし、何かをしても泣き止むまで側にいて落ち着いてから話をしても良いと思います。

日々、家事や時間にも追われますし、仕事で子供と関わる人はそんな時間がないと思うかも知れませんが、そこで余裕を持って接すると今後子供も理解して怒る事や注意をする事も減っていけば余裕が生まれると思います。

もちろん一回で改善は難しいと思いますし、繰り返しになるとは思いますがその都度、何故それがやってはいけないのか、危ない事なのかをしっかり伝えていく事それが子供を育てる大人が持つべき役目かと思います。

人間ですし感情的になる事はあると思いますが、親も一呼吸入れ接すると良いと思います。

仕事で接する人は「名前」を呼ぶ時に〇〇さんと呼んで見ては如何ですか?仲良くなったりすると呼び捨てやニックネームで呼んでしまう事もあると思います。〇〇さんと呼ぶ事でしっかりと互いの立ち位置が決まり、感情的に怒る事も少なくなり日々接する事が出来るので落ち着いて対応が出来ると思います。呼び方で距離感は変わらないですが大人が意識を持つ事が出来ます。

 

子供から見て怖い人ってのは大事な時もあります。

しかし、怖い人=ガミガミ怒る人ではなく、怒ったとしてもちゃんと伝えてくれる人に自分もなれたら良いなと思います。

 

長くはなりましたが、あくまで個人的な考えですし人によって状況は違いますが何かの参考になれば良いなと思います。 

最後まで読んで頂きありがとうございました。